NO283 続編 ところで富山県氷見市と冷池山荘の共通点ってわかりますか。
2007/ 3/ 9(金)
これが即、わかった人がいたならかなりの日本語通、言語学者の
今は亡き金田一京助先生も真っ青ですね。共通点っていったい何なのでしょうか。ちなみに大町市と氷見市は姉妹都市なんですが、それは何も関係ありません。ところで冷池って、皆さんはなんと読まれますか。つめたいけ、つべたいけ、残念ながらまだまだ知名度が低いのか
れいいけ、れいち、ひやいけ、ひえいけ 等々いろんな読まれ方をされます。そういえば ひやしいけ なんていうのもありましたが、正しくは “つめたいけ” か “つべたいけ”
です。私どもとしてはここ10数年はパンフレット等では標準語的に“つめたいけ” の表記をしています。ただし大町の方言的には
つめたい→→つべたい になりますので、それに合わせれば“つべたいけ” のほうが正解なのかもしれません。自分でも“つめたいけ”
であったり“つべたいけ” であったりと、どちらでも使います。地方の時代を考えれば“つべたいけ” のほうがいいのかな? でも今の若い人たちはつべたいとかあんまり
言わないようだし・・・・
こんなふうにバ行音とマ行音が用いられる言葉ってありますよね。例えばケブタイ(煙)とケムタイ、サブイ(寒)とサムイ
、ツベタイ(冷)とツメタイ
といったように変化することが見受けられます。これを同段(同韻)通音というらしいんですが、同じようなのが“氷見” なんです。“ひみ” はその昔“ひび” とも“ひみ” とも呼ばれていたらしいんです。古い書物をひもとくと“日比” “比美” “氷見” 等々いろんな漢字があてられていたようです。そして時代を経て今は“氷見” に統一され
たようです。こんな云われが2/4の中日新聞(東京新聞) の『地名に生きる』 というコーナーに紹介されていました。
なんとなく冷池と氷見の共通点がおわかりになられたでしょうか。たまにはこんな話題も面白くありませんか。それともちょっと理屈っぽくって
退屈されてしまったでしょうか。NO282でも紹介した氷見の寒ブリはとても有名な冬の北陸を代表する美味ですが、その昔氷見ブリは塩漬けされて国境を越え飛騨へ運ばれ、そこからは呼び方も飛騨ブリに変わり野麦峠を越えて信州松本へと運ばれました。それはさらに安曇野、大町へ。南は伊那谷へと運ばれました。今でも大町や松本では一年納めの大晦日、松本平で言うところの“お年取り” には“年取り魚” と
いってブリを食べます。(以前当H.P178でもそんな話題を書きました。) 海のない松本平の人間にとってはそれはそれは最大の贅沢だったのです。今もそういった歴史が脈脈と伝わり続けていることは本当にうれしいことです。ちなみに越後との交流が強かった長野市方面で食べる魚はサケです。山
が多く山によって隔てられた信州の各地はそれぞれ地域性も強く風俗風習も微妙な違いが今でも多く見受けられます。
NO.282でも書きましたように今年は3月になっても時ならぬブリの豊漁が続いているそうですが、型は小ぶりで12月から1月にかけて獲れるいわゆる“寒ブリ”
とは区別して“寒ブリ”
の名称は使わないでいるそうです。この時ならぬ豊漁も今年の大暖冬と関係があるようならこれまた心配になってきます。富山湾はこのブリの大回遊やホタルイカ、埋没林、そして黒部川の冷たい水が流れ込むことによって起こる蜃気楼とか、いろいろと不思議なことや神秘的なことがたくさんあります。高岡市から氷見市にかけての海岸線から海越しに3000m級の立山や剱岳が眼前に聳え立つ秀景。こういった光景が日本で見られるのもここだけです。富山県いいところですよ。今日は長野県でなく富山県のセールスマン(どこかで最近よく聞くフレーズ・・・ 東国原・・・ )
になってしまいました。でも本当は私も一年の半分は富山県人なんです。長野富山県境に建つ私どもの3軒の山小屋のうち冷池山荘と新越山荘は行政的には富山県中新川郡立山町芦峅寺
(あしくらじ) なんですよ。これからも富山県のみなさんよろしくお願いいたします。
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