▲▲ 2004  / 1月・2月・3月 ▲▲

(ホーム) (山荘案内) (コース) (花地図) (最新情報) (今までの情報)

NO105  今週は早4月入り。冷池山荘工事のため例年にない早さでまもなく入山です。

2004/ 3/28 

  しばらく肌寒い日が続きましたが、今日は大町もようやく暖かな日差しが戻りました。名古屋をはじめ各地で20℃を超えたとか、桜前線も金沢市まで北上したとか、いよいよ各地で春本番を迎えてきたようです。何という種類かわかりませんが、我が家の梅も開花しだしました。これでも普段の年より一週間ぐらい早いんですよ。また田んぼの畦焼きをしていたらモンシロチョウぐらいの大きさのオレンジ色の蝶も今年初めて見ました。大町もまもなく春本番到来です。ちなみにサクラの開花予想は4月16日です。これでも例年より一週間早いんです。最近は毎年のように春の訪れが早まっているようで、自然相手の仕事をしている私共にとっては何かと心配です。地球温暖化を防ぐにはライフスタイルを変えていかざるを得ないことはよくわかっているのですが、いろいろとジレンマに落ちてしまいます。

  今週は天候を見ながらヘリコプターでの入山になります。山小屋経営者にとっては元旦の新年の年明けに続いて2度目の年明けです。新年を迎える華やいだ気持ちと違って、この年明け(小屋開け)はいろんな意味で緊張の連続です。今春は特に冷池山荘の7月15日新装オープンへ向けての第3期工事実施の大事な年であり、例年より3週間も小屋開けも早いのでなおさらです。もう入山まで数日になったのに、未だに片付いてないことが山のようで、まさに気持ちはケセラセラです。とにかく今は天候の安定を願い、順調な入山、そして順調な除雪作業を願うのみです。


   こちらの写真クリックで、大きくなります。

スタッフのさっちゃんからの今年の年賀状。山の人間にとっては今週が本当の年明け。今シーズンもよろしくお願いします。おサルさんは爺ヶ岳の頂上で何を考えているのかな?

アサギマダラは秋にフィリピンや台湾まで渡るそうです。本州から沖縄まで1ヶ月で渡るのが確認されています。おもわず『お腹一杯みつを吸って頑張って!』と声をかけたくなりました。

小屋開けでとにかく一番力になってくれるのが除雪機です。除雪機の力なくしては今年の工事の完成はありえません。2台ともオーバーホールも済み荷上げを待っています。

ウメの花を見ていたら、ウグイスを思い出しました。山小屋のある辺りでも6月の中頃になれば、あのホーホケキョが聞こえます。残雪と新緑にマッチしたいい鳴き声です。

NO104  黄砂に吹かれて・・・・・・北の安曇野にもようやく遅い春が到来。

2004/ 3/14 

 更新がすっかり遅れてしまいアクセスしていただいた皆さんには大変失礼いたしました。今冬は結構雪が多く3月に入ってもなお最低気温がマイナス10℃以下になるのも度々、一日中零下の真冬日も度々といった寒い冬でしたが、ここへきてようやく春めいてきました。田んぼの畦にはオオイヌノフグリの花も咲き出し春本番ももうじきです。現在私共は3月31日前後の入山及び7月15日の冷池山荘新装オープンに向けて各種準備、打ち合わせ等に余念がありません。今はなんとしても皆さんにご迷惑をかけぬように第三期工事を進めていきたいと思っております。併せて皆さんには新装なる冷池山荘にぜひ足をお運びくださいますようお願い申し上げます。

 さて先日、北アルプスの穂先:槍ヶ岳の槍ヶ岳山荘を創設した穂刈家の初代、穂刈三寿雄さん(1891〜1966)の写真展に伺わせていただきました。穂刈さんは山小屋の他に写真館も営まれたほどの写真愛好家だった方ですが、大正末期から昭和にかけて槍ヶ岳はもとより白馬、剣、立山、乗鞍、はては蔵王にまで足を延ばされて幾多の写真を残されました。今回それらの写真が一堂に会して、拝見することができ本当に感動しました。中には焼岳の大爆発や大正末期の松本市街地から見た北アルプスの写真といった貴重なものもありました。また大正末期の我が種池小屋付近から撮った針の木岳の写真もあったりでうれしい思いもしました。80年余りが過ぎても画像の新鮮さ、鮮明さが何ひとつ変わらぬことに衝撃を受けるとともに、針の木岳の変わらぬ姿にも感銘を受けました。地球の歴史のなかで80年間でそんなに変化があるわけないじゃないかと云われればそれまでですが、さきほどの写真で見る緑豊富な昔の松本市街地が今ではまったくそのおもかげがないのを見るにつけても、北アルプスの貴重な大自然を守っていくのは自分達の責務だと再確認する機会になりました。山小屋や山岳をとりまく問題はまさしく山のようにあります。さしずめ今ならライチョウにたいする鳥インフルエンザなども心配でなりません。なかなか一朝一夕には参りませんが一歩ずつ前進させていきたいと思います。登山者の皆さんにもストックの突き方ひとつ、登山道上でのすれ違いひとつにもお気遣いいただければ幸いです。


   こちらの写真クリックで、大きくなります。

3月の前半も寒い日が続きましたが、我が家の周りもここへ来て一気に雪融けも加速してきました。岳の上は3日続きの黄砂が舞い、これまた雪融けが進みそうです。(3/14)

四月から再開する冷池山荘の工事に向けて準備も進みます。写真は一階の床板に用いる栗の木の板です。栗の木は腐るということをほとんど知らない素晴らしい素材です。

穂刈さんが登ってから80年の歳月を過ぎても針の木岳の勇姿は全く変わりません。100年、200年後もこの素晴らしい景観は絶対に変わりません。(タムシバ咲き誇る柏原新道より)

穂刈三寿雄写真展のポストカードから。昭和の初め、まだ肩の小屋ができる前の大槍です。当時のしゃれた登山のいでたちも興味深いものです。

NO103  あっという間に2月入り。冬らしい冬も、暦の上では早くも節分そして立春ですね。

2004/ 2/ 1  

  北アルプス山麓、大町地方は昨年に続いて今冬も連日寒い日が続いています。雪もまあまあ多いし、結構寒い冬です。太平洋岸を中心に異常に早い梅の開花のニュースが届き暖冬が云われましたが、北アルプス山麓はまったくあてはまらない1月の天候でした。ほぼ連日のように一日中がマイナスの真冬日が続き、最低気温も連日マイナス10℃近辺です。寒い時に寒くて、暑いときに暑い。天気により左右される私共のような山小屋にとってはこういう天候のほうが安心です。2年続きで全面結氷して御神渡り(おみわたり)が出現した諏訪湖ですが、拝観式での氷のせりあがりや、氷の裂け目の方向などから見た、神様のご宣託は天気は不順とのこと。うーん、これはちょっと気がかりですね。諏訪大社の御柱祭りに行かれる方は天候の安定をしっかりと祈願をお願いします。

  さて今回も長野県政のお話しです。といっても“信州”や“住基ネット”の話しではありません。全国紙でも報道されて皆さんご承知かと思うんですが、『長野県は今後県有ヘリコプターによる山岳遭難救助に際しては現在の無料体制から有料化へと方針を変更すべき』と、田中知事が1/21に発表されました。これには長野県の財政上の問題や民間ヘリとの料金格差などが理由に挙げられていますが、なんといっても一番大きな理由は救助ヘリをあまりにも安易に要請する登山者側にあるようです。本当に気軽に自分の携帯電話で歩行に支障のない切り傷程度で呼ぶ例もあるようです。その後県警本部長は有料化には否定的な発表をされたし、今後周辺の富山県や岐阜県との調整も必要だし、まだまだいろいろと紆余曲折がありそうです。これから先、登山者、山小屋、県警、消防、ヘリ会社なども入れて議論を深めていかねばならない問題です。どちらにしても山岳保険の充実や加入促進、登山者の自己責任の徹底やいろんな意味での登山技術の高揚なども併せて推進していかないといけないと思います。

  また1/26には田中知事は長野県独自の県民税として、森林保全を目的とした『森林税』の課税を鋭意検討するとも発表されました。その中で長野県民に対しての『森林税』だけでなく登山者に対しての『入山税』といったものにも言及されたそうです。昨年は環境省も数年後の富士山での『入山税』を検討といった話題がありましたが、広い長野県、どこへ行っても山だらけの長野県ではより課題が多そうです。今までも雑誌等では話題にはなり、どちらかといえば肯定的な意見が多かったように見受けておりますが、いざ俎上に上ってくるといろいろと考えてしまいます。今はトイレや雑排水やゴミ処理の改善を最重点に考えてやっていますが、今回の2つの課題だけでなく山岳、山小屋をとり巻く課題はこれからもつきないようです。山へ登る人も、登らない人も山にたいする畏敬の念を忘れなければ一つ一つ解決していけると信じています。  


   こちらの写真クリックで、大きくなります。

いつの時代も子供たちは元気に早朝には登校です。1月中の大町の最低気温はマイナス14.6℃。それでも昔に比べれば高めです。

餓鬼岳(左)と唐沢岳。燕岳の北方稜線にある山ですが静かな山行を心ゆくまで楽しめる山です。

木崎湖もかなりの面積で結氷しましたが、全面結氷はちょっと難しいでしょうか。昔は穴釣りも結構やったんですが。

連日の冷え込みでひさしには2メートルに達さんばかりのツララが下がっているところも。

山小屋のヘリ輸送の歴史も40年を超えました。写真は昭和37年に翌年の冷池山荘新築工事の資材の一部を荷上げした際のもの。当時としてはまだ画期的な大冒険でした。手さぐりの中で200kg弱吊っての慎重な飛行です。

長野県警ヘリが種池山荘へ足を骨折のけが人救助に飛来。いつもこんな晴天ならいいんですが、乱気流、あっという間のガス等、北アルプスで仕事をするいかなるパイロットも技量経験豊富な方でないと務まりません。

“山想えば人恋し 人想えば山恋し”(慎太郎) “夏に在れば冬山恋し 冬に在れば夏山恋し” 毎日雪山を見ていると無性に夏山が思い出されます。皆さん同じなようで夏山の予約も入ってくるころです。(吊り尾根より爺ヶ岳、槍方面)

夏山の醍醐味と尋ねられたら。やっぱり縦走かな。以前に比べて縦走派の方は少なくなった気がするけれど。槍穂縦走、裏銀縦走も懐かしいですね。(写真は後立山縦走の核心:キレット通過を守る重鎮キレット小屋と鹿島北峰)

NO102  “信州”より明けましておめでとうございます。穏かな年の初めです。

2004/ 1/ 7   

  旧年中は当ホームページ上に、また三つの山荘へと足をお運び頂きまして誠にありがとうございました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。年末年始は比較的穏かな天候が続き、山の上のほうでも強い雪降りにはならなかったようです。年明けからここ大町も気持ち暖かめの新春です。ただ大町から見る北アルプスも餓鬼岳から南の山々はほぼ連日きれいに姿を見せてくれるんですが、北の山は雪雲がかかったり、中間に薄いガスや厚い雲が入ったりでなかなかきれいに見えなかったんです。しかし今日は朝から姿を見せ、雲のかかっていた鹿島槍ヶ岳から北の山々もその後、今年初めて全山新雪におおわれた美しい山容をみせてくれました。ようやく気持ち的にも本当の新春を迎えることができました。

  今年は4月中旬からの冷池山荘の工事再開に向けて、山荘スタッフは除雪や下準備のために3月末には入山する予定でいます。もう2ヶ月強しかないわけで、いつまでもお正月気分ではいられません。昨年の経験からもあっという間の入山、あっという間のG.W、あっという間の梅雨入り、そしてあっという間の海の日3連休というパターンになるのは目に見えています。しっかりと段取りを立てて7月15日オープンをめざしてまいります。皆様には何かとご迷惑をおかけいたしますがご協力の程よろしくお願い申し上げます。

  ところでニュース等で皆さんご存知かと思いますが、長野県の田中康夫知事の“長野県”を“信州”へと名称変更しようという年頭の発言。県内では一部新聞等で元旦に報道されてはいたんですが・・・・・ここで一つ間違えてはならないのは、“信州県”ではなくて“信州” ということです。1州1都1道2府42県をめざすということです。私としてはなんかいいようで、そうでないような。なんでこの時期に、他にも停滞している案件が山のようにあるのにとか。県都長野市に強いライバル意識をもつ松本市はどう思うのかとか、いろいろと考えてしまいます。南北に長い長野県、長野市と同じ北部に位置する大町市に住む者としては、今まで“長野県”に違和感をもったことはほとんどなかったし、知事の言う総務省が画策する道州制に先んじて“信州を”実現するという発言にもピンとこないというのが実感です。 上手に“長野県”と“信州”を使い分けていけばいいと思うのですが、皆さんいかがでしょうか。ちなみに私が“信州”を感じるのは鹿島槍ヶ岳をはじめ富山、岐阜県境の北アルプスに登った時です。東側の足元に広がる山また山を俯瞰したときに“信州”の偉大さをいつも覚えます。

  今年も新年早々大きな話題を提供してくれて目が離せない田中長野県政ですが、私もタイムリーな情報や話題等を提供して皆さんの目が離れてしまわないようなホームページ作りを今年も心がけていきたいと思います。 


   こちらの写真クリックで、大きくなります。

ようやくきれいに姿を現わした鹿島槍ヶ岳。(1/7)山麓の3ヶ所からの微妙に違う鹿島槍の勇姿。あなたはどこから眺めてみたいですか。(大町市街地東より)

ネコの耳のようにピンとした鋭い双耳峰。鹿島槍の双耳峰は本当にどこから見てもわかるし端正だ。(美麻村より)

白馬村から遠見尾根越しに見る。険しい北壁が違った一面をみせる。ここへ来ると北峰が左側になる。やっぱりどこから見てもいいですね。

大町や松本では正月が終わると、松飾りやだるまを集めて焼いて無病息災を願う。三九郎、おんべ、どんど焼きなどと呼ばれます。

左に蓮華岳、右にスバリ岳。まん中に少しだけ針の木岳が見える。大町市街地からは見えない針の木岳も美麻村の北部や大町市の南部に行けば望める。

爺ヶ岳を大町より望む。“種蒔き爺さん”もすっかり雪の下にかくれて5月まで冬眠中のようです。(1/7)

白馬村中心部からの五竜岳。雪がつくとますます雄々しくなります。ヒマラヤ的ですよね。行ったことはないんですが。

八方尾根と不帰の嶮。こちらはなんかイタリアアルプスといった感じ?こちらも行ったことはないんですが。